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先輩社員インタビュー

進むべき方向へ

着実に歩くこと

「人」への興味のその先へ

サーバエンジニア

入社8年目 41歳 男性

ITエンジニアを目指したきっかけ


学校を卒業後、これといったやりたい仕事もなく、飲食店や出版社に勤めたりと、カッコ良く言うと「自分の可能性」を探して色々な仕事を経験してきました。

そんな中、ブロードバンド機器の家庭への接続サポートの仕事を行ったのがきっかけで、派遣でサーバ運用の仕事に就いたんです。もともと、パソコンに興味はありましたが、“人の手助けができる仕事”は自分には合っているなとその時初めて感じました。 当時のIT系派遣会社では、今の自分のスキルに合った仕事はたくさん紹介されましたが、将来の事まで考えてくれる派遣会社は見つかりませんでした。

サーバ運用の仕事を始めて数年経ち、この仕事は好きでしたが、自分が40、50歳になった時、今の仕事を続けていけるのか?という不安が次第に大きくなってきたんです。

当時の派遣会社の営業担当にも相談しましたが、「サーバ運用の仕事で契約をしている以上、違う仕事に就くには一旦辞めて、別の契約をするしかない」と言われたんです。しかも、「別の仕事で三浦さんの希望にあう仕事があるという保証は持てません」とまで・・・



人生の転機、自分の価値観の再発見


そんな中、ある人の紹介がきっかけで、日翔テクノと出会いました。日翔テクノでは、派遣会社には珍しく、全員を正社員として受け入れ、責任を持って育成していくという方針だと聞き、半信半疑(笑)で伺ってみたのです。

そこで、河原崎社長と出会いました。私の漠然とした将来への不安に対し、IT業界の現実的な厳しさを踏まえた上で、進むべき方向などを、とても親身になって話して下さり、一緒に計画を立ててくれました。

具体的には、まずはサーバエンジニアとしてCCNAとLPICの資格取得を当面の目標とすること。そしてその先は、「人への興味」を生かし、エンジニアから現場の管理、将来的にはエンジニア受入れ先の開拓・教育にも挑戦していこうという地図でした。

ちょっと話を聞いてみようと思っただけだったのですが、帰る時には「ここに転職しよう!」と意志を固めている自分がいました。



自分の進むべき方向


現在は、無事CCNAの資格を取得し、実務を担当すると同時に、サーバ運用チームのリーダーとして8名のスタッフを束ねています。

昼番と夜番の間での情報共有が非常に重要で、トラブルがないよう、次の担当への引き継き等、最大限の努力をするのが私のエンジニアとしての誇りです。

また、若いメンバーが最大のパフォーマンスを出せるよう、職場環境の改善や、一人ひとりの体調管理まで気を配っています。

やるべきことはたくさんありますが、日翔テクノでは毎月、エンジニアを集めてミーティングを開き、課題の洗い出しや、解決策をみんなで考える機会がありますから、自分一人で抱え込むことはありません。 入社当時の私の地図では、ようやく第二ステップに辿り着いたばかりですが、充実した日々を送っています。

やはりそれは“自分の価値観”を改めて認識し、“自分の進むべき方向”がはっきりしたからだと考えています。

「困った人の手助けが好き」から始まった私の地図は、今、明確な目的地を指しています。



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私が目指す道

日翔テクノで手に入れた

「モノづくり」へのステップ

ネットワークエンジニア

入社3年目 24歳 男性

手に職が大事


小中学校の頃は、勉強も運動も面白くなくて、ゲームばかりやっていた気がします。それが、電気系の工業高校に進学した途端に勉強が楽しくなったんです。

きっと、「モノを作る」という喜びに目覚めたのだと思います。電気工事の実習も楽しかったですし、家に持ち帰ってのレポート三昧の日々も辛くなかった。何より、昔より友人が増えましたね。同じ意識を持った仲間だから、将来のことやお互いが持っている情報を話し合ったりして、いい時間を過ごしたと思います。

もう、その頃には、義務教育だった小中学校の頃とは違って、「手に職が大事」という自分なりの意識を持っていました。だから、高校卒業後は、迷わず、電気工学の専門学校に進み、知識、技術の習得に、資格の取得と、賢明に勉強していましたね。今から思えば、遊び盛りの頃なのですが、レポートに没頭していても、不思議と苦痛ではなかったです。

「自分がやりたい」と思う方向に進んでいたから、自信もあったし、楽しみながら出来ていたのだと思います。



「環境を選ぶ」ことが自分を変えていくことになる


ところが専門学校を卒業して初めての就職は、建築系の会社。現場監督の補佐のような仕事をしていたのですが、電気とあまり関係がない。何よりも「モノを作っている」という実感がないんです。結局、自分でしっかり決断をして、半年で辞めました。

「今度は電気工学の知識と技術を活かせる仕事を」と思い、発電所や変電所に納める製品の「評価・検証」の仕事に就きました。大手の会社で安定していましたし、電気工学の知識や技術を活かせる仕事でしたが、「モノ作り」というKEYワードが自分の中で消化されていなかった。

それに「環境が自分を作る」ということを考えた時期でもありました。ここにいたら、この仕事を極めることは出来るが、本当にやりたい「モノを作る」ということには、辿り着けない。「自分が行くべき方向に向かうためには、そういった環境に自分の身を置くことが大切。それを選ぶのも自分なんだ」と決心しました。

その当時、友人からIT業界の話をよく聞いており、「電気」をやめて、またイチからスタートする不安はありましたが、チャレンジすると決めました。求人サイトをみて、「未経験歓迎」の会社を4社受けました。



未経験からでも始められるステップがある


日翔テクノに決めたのは、自分のやりたい「モノ作り」へのステップを明確に教えてくれたからです。

IT業界については、自分は全くの無知だったので、面接時にイチから丁寧に教えて頂きました。運用・監視業務からなら、未経験でも大丈夫であること。その後、構築、開発と進んでいけば、この業界で自分のやりたい「モノ作り」が実現できること。そのためには、どのような資格があり、どのタイミングでその資格を取得していけば良いか。また、その難易度はどのくらいのものなのかなど、一つずつ具体的に話して頂きました。

最初の監視業務は、シフト制の12時間2交替というところが、ちょっと体力的に辛いかなと思ったのですが、将来イメージの実現に向けて、スタートを切りました。

資格や知識、技術を手に入れるには、仕事以外の時間も、自分で勉強しないとダメなことは、「電気」を学んだ時によく理解しているので、休み返上で勉強しています。ついつい、気になる本を買い込み過ぎて、勉強が本の溜まるスピードに追いつかないのですが、これから、各ステップの資格を着実に取得していくつもりです。そして、一日も早く開発業務に携われるようになりたいと思っています。



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成長に必要なこと

今やるべき仕事ができることの大切さ

システムエンジニア

入社3年目 30歳 女性

言ったことを守ってくれる


「言ったことを守ってくれる」。そんな、当り前のことができない会社を私はたくさん見てきました。私にとって日翔テクノは、そんな「当り前のことができる」数少ない会社です。そして、そこに在籍してスキルを積ませて貰っていることに私は感謝をしています。

私が大学を出た年は就職氷河期と呼ばれる年で、私も例外ではなく、大学卒業後は、派遣やアルバイトをして過ごしてきました。飲食の仕事、コールセンター、事務職、多種多様な職種を経験しました。

やっと、学生時代から希望していたプログラミングの仕事に就けたのは、大学卒業から6年が経った年でした。半ば諦めていただけに、とても嬉しかったのを覚えています。

はじめは、開発職のアシスタントとしてスタートし、見よう見マネで自分でもプログラムを組んでみて勉強しました。時間のある時は、WEB上からオープンソースのプログラムを拾ってきて、理解を深めたりして、次第に自分でも「ある程度できる」と思えるくらいのレベルまで達するようになりました。

そうすると、スキルアップへの意欲が強くなってきたんです。日翔テクノを知ったのは、そんな頃でした。



その時の自分のレベルにあわせた「実践の場」がある


スキルアップするためには、もちろん自分が勉強して、知識をつけなければならないのは当然ですが、それを「実際にやってみる」ことがとても大切です。だから、「自分が今、やるべき仕事ができる」「自分のレベルにあわせて無理なく成長できる」ということは、とても大きな魅力です。

しかし、私には他の会社での「言ったことを守ってもらえない」「話が違う」「出来ることにして、行ってきてほしい」というような、嫌な経験がいっぱいありました。正直、不安と懐疑の気持ちもあったのですが、面接を受けてみて「信頼してみよう」という気持ちになりました。

実際に入社してみて、「クチだけではない」会社の姿勢にとても共感しています。スタートが遅い自分でしたが、プログラムの仕事に就けなかった6年間の経験は、「物事を客観的にみれる力」を付けさせてくれたと思います。そんな客観的な視点から見て、今の自分の環境は恵まれているので、後は「自分がどれだけ貪欲にスキルアップできるか」だと思っています。人間は満たされると、その有り難味がわからなくなりますからね。



エンジニアにとって「仕事と健康のバランス」は重要


大学が工学部だったので、友人にもエンジニアがたくさんいます。私の周りだけでも、仕事のせいで体を壊してしまった人がどれだけ多いことでしょう。今も薬を飲みながら、仕事をしている人もいます。そんな友人たちを見ていると、「仕事と健康のバランス」という意味でも、私の状況は恵まれていると感じています。

「土日は休み、9時-5時で働くこと」は、本来当り前のこと。でも、この業界では、それが当り前ではないんです。「それはおかしい」と、私ははっきりと言いたいです。

「当り前のことが当り前にできる会社」。実は、その数は多くないのかもしれません。でも、自分が着実にスキルアップするためには、「自分ではどうにもならない環境」を背負うことは、大きな障害であり、だからこそ、自分自身の視点で、自分自身の判断で、それを見抜きながら、進んでいくことが大切なのかもしれません。

目まぐるしく進化していく技術に追いつきながら、仕事にも、仕事よりもっと大きなものにも、自分自身の視点をしっかり持って、これからも成長を続けていきたいと思っています。



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プロとして胸を張る

そのために必要なプロセス

ネットワークエンジニア

入社2年目 29歳 男性

日翔テクノは、ほかの派遣会社と明らかに違った!


「ネットワーク・エンジニアになろう」と決めたのは、一度就職したシステム会社にいた時でした。でも、配置転換の希望は聞き入れられなかったんです。

そこで、「派遣」なら、自分の希望する仕事ができるだろうと思い、1年半で会社を辞め、派遣で仕事をするようになりました。

でも、あまかったですね。派遣会社というのは、表向きは「希望通りの仕事に就ける」と言っていますけれど、実際は会社にとって儲かるところを優先的に請け負い、私たちの都合は後回しです。目先の利益ばかりを追いかけていることを、営業の方も隠してはいますけれど、そんなことは分かりますよね。

その点において日翔テクノは、表裏がなかったんです。河原崎社長との面談では、「これから自分がネットワーク・エンジニアとして、どうキャリアを積めばいいか」、とても親身に話をして頂きました。

正直、「つらい」部分についても、隠さず話をして下さったので、とても真実味がありましたね。ちゃんと、社員のことを考えてくれる会社だと思い、お世話になろうと決めました。



ネットワークの仕事のプロになること


自分の目標は、ネットワークの仕事を通して、お客様との信頼を築き、後輩からも頼られる存在になることです。初めての就職が病院の事務、その次が工場勤め、そしてシステム会社と転職を繰り返しましたが、辞める度に、危機感に苛まれました。無気力というか、「自分は何なのかな」って。

その時の気分は、小中高校と続けてきた剣道を、高校1年の時に辞めた時と似ています。それまで剣道の強さでは、自他ともに認めるものがありましたが、辞めた途端に、自分というものを無くした気がしました。

自分の意識は、相手からどう見られているかも大きな要因です。「剣道の塚原は、もういない」。引き篭もって、ファンタジー小説ばかり読んでいました。現実逃避ですね。

だから今回、ネットワークのプロになろうと決めたからには、その称号をしっかりと掴み取りたいんです。胸を張って「自分は何をやっている」と言えることは、生きていく上で、とても重要。もちろん、そのためには「つらいこと」もたくさんあります。でも、「何をこなしていけば、そこに到達できるか」が分かっていることは幸せなことだと思いますね。



当面の目標は「資格取得」


日翔テクノでは、「何を経験すればいいのか、そのためには、何を学べばいいのか」をしっかり教えてくれます。そればかりか、教材の準備や資格取得の費用も会社で負担してくれます。学んで、資格を取り、それを実践する職場がある。着実に夢に向かっていける環境ですね。

自分の当面の目標は、CISCO資格の「CCNA」を取得すること。現在、サーバーの監視業務の仕事をしていますが、仕事の合間にも資格取得の勉強をしています。もちろん、障害が出たら、飛んでいかなくてはいけませんが、何もない時は勉強させて貰えるのが嬉しいですね。それに、職場の方々にも教えて頂くことがあります。

資格を取って、監視業務を1年くらいやったら、今度は「運用」。そして、「構築」「設計」とステップアップして、「自分で考えて、モノを作ること」を実現したい。自分は、体力には自信があるので、それを武器に、知識と経験を掴んでいきたいです。目指すプロまでの道のりは、まだ遠いですが、会社で提供してくれる環境や機会を活かしながら、一歩ずつ、着実に成長していきたいと思っています。



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